백범(18) 나의 소원(일어편)
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김영환 작성일02-04-02 00:10 조회1,572회 댓글0건본문
私の念願
1.民族國家
2.政治理念
3.私の念願する,われわれの國家
「お前の念願は何か?」,神がわたしにもし尋ねられるなら,わたしはためらうことなく,
「私の念願は,大韓の獨立です」
と答えることだろう.「それでは,そのつぎに何を願うか?」と尋ねられるならば,わたしはまた,
「わが國の獨立です」
と答えるだろう.「そのまたつぎの願いは何か?」という三番目の質問があっても,わたしは,いっそう聲を高くして,
「私の念願は,わが國の完全な自主獨立です」
と答えることだろう.
同胞の皆さん!私金九の念願は,これ以外にはない.わたしは,過去七十年の生涯を,ただひたすらこの念願を目ざして生きてきたし,現在も,この念願のために生きており,そして,未來においても,この念願を達成するために生きて行くだろう.
獨立なき民として,七十年の生涯を悲哀と恥辱と苦惱の中に生きてきたわたしにとっては,世の中でいちばんすばらしいことは,完全に自主獨立した國の民として生き,そして死ぬことである.わたしはかつて,わが獨立政府の門番になることを志願したことがある.それは,「わが國が獨立國になりさえすれば,わたしはその國のもっともみすぼらしい者になっても本望だ」という氣持ちからのことだ.「なぜそんなことをいうのか?」と問われるなら,
「獨立したわが國においての貧困こそ,他人の下に立った豊かさよりも,喜ばしくも光榮で希望に滿ちたものだからだ」
と答えよう.
昔,日本にはけんした朴堤上(五世紀初めの新羅の忠臣,日本で人質になった送られていた王子を計略によってつれもどすために派遣されたが,發覺してころされたといわれる)は,
「たとえ,鷄林(朝鮮)の犬,豚になろうとも,自分は倭王の臣下としての豊かさを望まない」
といった傳えられるが,それがかれの眞實であることを,わたしは知っている.朴堤上は,倭王が高い地位やたくさんの財貨を與えようというのを退けて,甘んじて死を受けた.それは,
「むしろ,わが國の鬼神となって國を守らんがため」
だったのだ.
近來,わが同胞の中に,わが國をどこか大きな燐國の屬邦にしてしまうことを,その念願とする者がいるという.わたしは,そんなことを事實と信じたくはないが,もし萬一ほんとうにそんな者がいるとすれば,その者はおのれの正氣を失った氣狂いとみるほかない.
わたしは,孔子,釋迦,イエスの道を學んだことがあり,かれらを聖人としてすうはいしはする.だが,たとえかりに,かれらが力を合わせて建設した天國,極樂があったとしても,それがわが民族が建設した國でないかぎり,わたしは,わが民族を導いてその國の中に入って行きはしないだろう.なぜならば,血と歷史を同じくする民族というものは,それ自體完全な存在であり,自分のからだを他人のからだと取り替えることができないのと同樣に,一つの民族が他の民族になりかわることは,できないことだからである.それは,兄弟といえども一つ家に暮すのはむずかしいということと,まったく同じなのである.二者以上がいっしょにくらすならば,一方は高く他方は低くなり,一方は上に立って命令し,他方は下にあって服從するという關係が,根本問題となるのだ.
この點について,一部のいわゆる左翼の連中は,血統の祖國を否定して,いわゆる思想の祖國を云 し,血を分けた同胞を無視して,いわゆる思想の同志とプロレタリア-トの國際的階級を主張し,民族主義などというものは,まるでもはや眞理の圈外に落ちた古い考えであるかのごとくにいっている.これはきわめて愚かな考えかたである.哲學にも變遷があり,政治,經濟の學說も一時的なものにすぎないのに對し,民族の血筋は永遠なのだ.歷史をひもとけば,いかなる民族といえども,かつて同じ民族の內部で,あるいは宗敎上の對立から,あるいは學說上の相違から,またあるいは經濟的,政治的利害の衝突から,二派,三派と分かれて,血をながして爭ったことのない民族はない.だが,過ぎ去ってみれば,それは風のごとくすぎ去る一時的なことにすぎず,民族は,結局,風が止んだあとの草木と同じように,根と枝を互いに絡み合わせながら一團となって生きているのだ.こんにちのいわゆる左翼,右翼なるものも,けっきょくは永遠の血緣の大海に起こった一時的な波風にすぎないのだ.このことを忘れてはならない.
このようにして,いかなる思想もすべて移り行き,信仰も變わって行く.しかし,血を分かち合った民族のみは,永遠に盛衰興亡の運命をともにする因緣によって結ばれた一體として,この地上に存在するのである.
世界の人類が,おれの物,おまえの物という區別もない一家となって暮すことは,よいことであり,人類の望みうる最高であり,最終的に目ざす希望であり,理想である.しかし,これは遠い遠い將來にこそ望むべきことであり,現實ではない.四海同胞が共有する偉大で美しい目標に向かって,人類が向上,前進の努力をすることは,すばらしいことであり,またなさねばならぬことでもあるが,それも,現實を離れては成らないことなのだ.現實の中での眞理は,各民族がそれぞれ最善の國家を形成し,最善の文化を生み育て,他の民族と相互に有無相通じ,助け合うことにある.これが,わたしが信じている民主主義にほかならない.これが,人類の現段階においての,もっとも確實な眞理なのである.
したがって,わが民族としてなすべき最大の任務は何かといえば,第一には,他人のかんしょうも受けなければ他人に依存もしない,完全な自主獨立の國家を建てることなのである.それは,これなくしては,たんにわが民族の生活を保障することができないだけではなく,わが民族の精神力を自主に發揮して輝かしい文化をうち立てることもできないからである.このような完全に自主獨立の國家がうち建てられたあかつきに,つぎになすべき任務は,この地球上の人類が眞の平和と幸福を享有することができるような思想を創り,それをまずわが國において實現することである.
わたしは,こんにちの人類の文化が不完全なものであることを知っている.どの國にも,內には政治上,經濟上,社會上の不平等,不合理があり,また外には,國際的な,國と國,民族と民族間のあらそい,あつれき,侵略,そしてその侵略に對する報復があって,大小の戰爭の絶えることがなく,多くの生命と財物を犧牲にしながらよい結果を生むことがなく,人心の不安と道德の墜落はますます深まっているのだ.このような狀態では,戰爭の絶える日はなく,人類は,ついには滅亡してしまうことだろう.したがって,人類世界には,新たな生活原理の發見と實踐が必要となってきているのだ.そしてこれこそが,わが民族に課せられた天職であると信ずる.
だからこそ,わが民族の獨立は,けっしてたんに三千里,三千萬だけにかかわることではなく,眞に世界全體の運命にかかわることなのである.したがって,わが國の獨立のために くことは,とりもなおさず,人類のために くことなのである.
もし萬一,われわれこんにちの狀況がみじめだというので,みずからを卑下する心を生じ,われわれが建設する國家がそんな偉大な事業をなしうることを疑うならば,それは自己を侮辱することである.わが民族の過去の歷史は,けっして輝かしくないものではないが,それはまだ序曲にすぎないのだ.われわれが,主演俳優として世界歷史の舞臺に立つのは,こんにち以後のことなのである.三千萬のわが民族には古代のギリシャ,ロ-マ民族がなしとげたような事業はなしえないと考えることが,どうしてできようか?
わたしの願うわが民族の事業とは,けっして,世界を武力で征服したり,經濟的に支配したりしようとすることではない.そうではなくて,ひたすらに,愛の文化,平和の文化によって,われわれ自身がすばらしい生活をし,人類全體が仲よく樂しく暮せるようにする事業をなそうというのである.
なるほど,いかなる民族も,いまだかつてそんな事業を成し遂げたものはない.だからといって,それは空想であるなどというのは止めよ! たとえ,かつてだれもやったことのないことであっても,それをわれわれがやろうではないかといっているのだ.この偉大な事業こそは,天がわれわれのために殘しておいたものである.そのことを悟るとき,はじめて,わが民族が,おのれの行くべき道を見出し,おのれの任務を知ったことになるのである.わたしは,わが國の靑年男女が,みな一人殘らず,過去の狹くてちっぽけな考えを捨て,わが民族の偉大な使命に目を開き,みずからの心を磨き,みずからの力を養うことをもって,自己の喜びとするようになってほしいと望む.若い人たちが,一人殘らずこのような精神を抱き,この方向に力を注ぐならば,三十年たたぬうちにもわが民族は,達成して待たれるようになる.わたしは,このことを確信するものである
▣ 김정중 -
▣ 김항용 -
▣ 김은회 -
1.民族國家
2.政治理念
3.私の念願する,われわれの國家
「お前の念願は何か?」,神がわたしにもし尋ねられるなら,わたしはためらうことなく,
「私の念願は,大韓の獨立です」
と答えることだろう.「それでは,そのつぎに何を願うか?」と尋ねられるならば,わたしはまた,
「わが國の獨立です」
と答えるだろう.「そのまたつぎの願いは何か?」という三番目の質問があっても,わたしは,いっそう聲を高くして,
「私の念願は,わが國の完全な自主獨立です」
と答えることだろう.
同胞の皆さん!私金九の念願は,これ以外にはない.わたしは,過去七十年の生涯を,ただひたすらこの念願を目ざして生きてきたし,現在も,この念願のために生きており,そして,未來においても,この念願を達成するために生きて行くだろう.
獨立なき民として,七十年の生涯を悲哀と恥辱と苦惱の中に生きてきたわたしにとっては,世の中でいちばんすばらしいことは,完全に自主獨立した國の民として生き,そして死ぬことである.わたしはかつて,わが獨立政府の門番になることを志願したことがある.それは,「わが國が獨立國になりさえすれば,わたしはその國のもっともみすぼらしい者になっても本望だ」という氣持ちからのことだ.「なぜそんなことをいうのか?」と問われるなら,
「獨立したわが國においての貧困こそ,他人の下に立った豊かさよりも,喜ばしくも光榮で希望に滿ちたものだからだ」
と答えよう.
昔,日本にはけんした朴堤上(五世紀初めの新羅の忠臣,日本で人質になった送られていた王子を計略によってつれもどすために派遣されたが,發覺してころされたといわれる)は,
「たとえ,鷄林(朝鮮)の犬,豚になろうとも,自分は倭王の臣下としての豊かさを望まない」
といった傳えられるが,それがかれの眞實であることを,わたしは知っている.朴堤上は,倭王が高い地位やたくさんの財貨を與えようというのを退けて,甘んじて死を受けた.それは,
「むしろ,わが國の鬼神となって國を守らんがため」
だったのだ.
近來,わが同胞の中に,わが國をどこか大きな燐國の屬邦にしてしまうことを,その念願とする者がいるという.わたしは,そんなことを事實と信じたくはないが,もし萬一ほんとうにそんな者がいるとすれば,その者はおのれの正氣を失った氣狂いとみるほかない.
わたしは,孔子,釋迦,イエスの道を學んだことがあり,かれらを聖人としてすうはいしはする.だが,たとえかりに,かれらが力を合わせて建設した天國,極樂があったとしても,それがわが民族が建設した國でないかぎり,わたしは,わが民族を導いてその國の中に入って行きはしないだろう.なぜならば,血と歷史を同じくする民族というものは,それ自體完全な存在であり,自分のからだを他人のからだと取り替えることができないのと同樣に,一つの民族が他の民族になりかわることは,できないことだからである.それは,兄弟といえども一つ家に暮すのはむずかしいということと,まったく同じなのである.二者以上がいっしょにくらすならば,一方は高く他方は低くなり,一方は上に立って命令し,他方は下にあって服從するという關係が,根本問題となるのだ.
この點について,一部のいわゆる左翼の連中は,血統の祖國を否定して,いわゆる思想の祖國を云 し,血を分けた同胞を無視して,いわゆる思想の同志とプロレタリア-トの國際的階級を主張し,民族主義などというものは,まるでもはや眞理の圈外に落ちた古い考えであるかのごとくにいっている.これはきわめて愚かな考えかたである.哲學にも變遷があり,政治,經濟の學說も一時的なものにすぎないのに對し,民族の血筋は永遠なのだ.歷史をひもとけば,いかなる民族といえども,かつて同じ民族の內部で,あるいは宗敎上の對立から,あるいは學說上の相違から,またあるいは經濟的,政治的利害の衝突から,二派,三派と分かれて,血をながして爭ったことのない民族はない.だが,過ぎ去ってみれば,それは風のごとくすぎ去る一時的なことにすぎず,民族は,結局,風が止んだあとの草木と同じように,根と枝を互いに絡み合わせながら一團となって生きているのだ.こんにちのいわゆる左翼,右翼なるものも,けっきょくは永遠の血緣の大海に起こった一時的な波風にすぎないのだ.このことを忘れてはならない.
このようにして,いかなる思想もすべて移り行き,信仰も變わって行く.しかし,血を分かち合った民族のみは,永遠に盛衰興亡の運命をともにする因緣によって結ばれた一體として,この地上に存在するのである.
世界の人類が,おれの物,おまえの物という區別もない一家となって暮すことは,よいことであり,人類の望みうる最高であり,最終的に目ざす希望であり,理想である.しかし,これは遠い遠い將來にこそ望むべきことであり,現實ではない.四海同胞が共有する偉大で美しい目標に向かって,人類が向上,前進の努力をすることは,すばらしいことであり,またなさねばならぬことでもあるが,それも,現實を離れては成らないことなのだ.現實の中での眞理は,各民族がそれぞれ最善の國家を形成し,最善の文化を生み育て,他の民族と相互に有無相通じ,助け合うことにある.これが,わたしが信じている民主主義にほかならない.これが,人類の現段階においての,もっとも確實な眞理なのである.
したがって,わが民族としてなすべき最大の任務は何かといえば,第一には,他人のかんしょうも受けなければ他人に依存もしない,完全な自主獨立の國家を建てることなのである.それは,これなくしては,たんにわが民族の生活を保障することができないだけではなく,わが民族の精神力を自主に發揮して輝かしい文化をうち立てることもできないからである.このような完全に自主獨立の國家がうち建てられたあかつきに,つぎになすべき任務は,この地球上の人類が眞の平和と幸福を享有することができるような思想を創り,それをまずわが國において實現することである.
わたしは,こんにちの人類の文化が不完全なものであることを知っている.どの國にも,內には政治上,經濟上,社會上の不平等,不合理があり,また外には,國際的な,國と國,民族と民族間のあらそい,あつれき,侵略,そしてその侵略に對する報復があって,大小の戰爭の絶えることがなく,多くの生命と財物を犧牲にしながらよい結果を生むことがなく,人心の不安と道德の墜落はますます深まっているのだ.このような狀態では,戰爭の絶える日はなく,人類は,ついには滅亡してしまうことだろう.したがって,人類世界には,新たな生活原理の發見と實踐が必要となってきているのだ.そしてこれこそが,わが民族に課せられた天職であると信ずる.
だからこそ,わが民族の獨立は,けっしてたんに三千里,三千萬だけにかかわることではなく,眞に世界全體の運命にかかわることなのである.したがって,わが國の獨立のために くことは,とりもなおさず,人類のために くことなのである.
もし萬一,われわれこんにちの狀況がみじめだというので,みずからを卑下する心を生じ,われわれが建設する國家がそんな偉大な事業をなしうることを疑うならば,それは自己を侮辱することである.わが民族の過去の歷史は,けっして輝かしくないものではないが,それはまだ序曲にすぎないのだ.われわれが,主演俳優として世界歷史の舞臺に立つのは,こんにち以後のことなのである.三千萬のわが民族には古代のギリシャ,ロ-マ民族がなしとげたような事業はなしえないと考えることが,どうしてできようか?
わたしの願うわが民族の事業とは,けっして,世界を武力で征服したり,經濟的に支配したりしようとすることではない.そうではなくて,ひたすらに,愛の文化,平和の文化によって,われわれ自身がすばらしい生活をし,人類全體が仲よく樂しく暮せるようにする事業をなそうというのである.
なるほど,いかなる民族も,いまだかつてそんな事業を成し遂げたものはない.だからといって,それは空想であるなどというのは止めよ! たとえ,かつてだれもやったことのないことであっても,それをわれわれがやろうではないかといっているのだ.この偉大な事業こそは,天がわれわれのために殘しておいたものである.そのことを悟るとき,はじめて,わが民族が,おのれの行くべき道を見出し,おのれの任務を知ったことになるのである.わたしは,わが國の靑年男女が,みな一人殘らず,過去の狹くてちっぽけな考えを捨て,わが民族の偉大な使命に目を開き,みずからの心を磨き,みずからの力を養うことをもって,自己の喜びとするようになってほしいと望む.若い人たちが,一人殘らずこのような精神を抱き,この方向に力を注ぐならば,三十年たたぬうちにもわが民族は,達成して待たれるようになる.わたしは,このことを確信するものである
▣ 김정중 -
▣ 김항용 -
▣ 김은회 -
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